第10話「対決」後編 18 守衛 「お姉ちゃん、大丈夫?」 律子が階段を昇り上がった時に思わず膝を落としたため、勇太が 心配して声をかけた。 「大丈夫よ。それより、勇太君に頼みがあるわ」 律子は勇太の両肩に手を乗せて、じっと見つめた。 「なに」 「私の勘だと、この階の人達はまだ死者に殺されてないわ。だから 、勇太君にこの階から上の病室の人達に避難するように呼び掛けて きてほしいの」 「やだよ、ボク」 勇太はすぐに拒否反応を示した。 「お姉ちゃんの一生のお願いよ」 「でもぉ」 「さっき、お姉ちゃんを助けてくれた勇気はどこへ行ったの。勇太 君ならできるわ」 「……お姉ちゃんはどうするの?」 「私はここでやつらが来るのを防ぐわ。だから、ね」 律子は微笑んだ。 「お姉ちゃん、絶対に死なないって約束してくれる?」 「いいわよ」 「じゃあ、指切り」 勇太は小指を立てて、律子の前に差し出した。律子も小指を立て 、それに応ずる。 「指きりげんまん、嘘ついたら針せんぼん飲ます」 二人で節を付けて言うと、互いに指を放した。 「頼んだわよ」 律子は勇太を送り出した。 さて、どうしたものかしら 律子は床に座り込んだまま、考え込んだ。 あいつらはあのナイフに操られていることは間違いないわね。普 通に死ねば、あの浮遊霊になるはずなのに、あのナイフを持ってい るかぎり猟人として生者を追いかける。 けど、あの死者が全員犠牲者なら最初に死者でない加害者がいる はずだわ。そいつを、そいつを倒さなきゃ、収拾がつかないわ ん? ふと何か気配を感じて、後ろを振り向くと、いつのまにか男が立 っていた。その男は警備員のような制服を着ている。 「そこで何をしていらっしゃるのです」 男は妙に感情のない声で言った。 この男はこれまでの死者とは違っていた。荒々しさもなく、顔色 も普通でナイフも手にしていない。ただ何か普通の人間とは違って いた。 「あなたは誰ですか」 律子は男を見上げて、言った。 「わたしですか、わたしはここの守衛です」 「守衛さん?」 「ええ」 「よかった、大変なんです、今、下で−−」 律子は言葉を止めた。 「どうしました。下で何か起こりましたか?」 守衛は静かに言った。 「あなた、何者!」 律子が鋭い口調で言った。 「わたしですか、わたしはここの守衛です」 守衛はさっきと同じことを言った。 「そう、この世界の守衛なのね」 「ほお」 これまで無表情だった守衛の顔に気味の悪い笑みが浮かんだ。「 なぜそう思います?」 「あなたには影がないわ、影がね」 律子は守衛の足下を見て、言った。 「そうです。あなたのおっしゃるようにわたしはこの世界の守衛。 生者から死者を守るのがわたしの役目。この世界では、生あるもの は存在してはいけないのです」 「ここにいる人達はみんな好き好んでここへ来たわけではないわ」 「それはわたしの関知することではありません。わたしはただ任務 を果たすだけ」 守衛は突然、アイスピックのようなものを取り出した。 「やはりあなたがみんなを殺し、操っていたのね」 「ええ。それが義務ですから」 守衛はアイスピックを律子に向けた。「あなたもすぐに殺してあ げますよ、楽にね」 守衛はアイスピックを鋭く突き出した。 ガシッ!! 律子は間一髪、杖で前に出して、守衛の最初の一撃を抑えた。 「おお、何と愚かな真似を。わたしは刃向かう者が嫌いなのです」 守衛は律子の足を蹴り上げた。 「うっ!!」 律子は悲鳴を上げた。 「気に入りません、気に入りません」 守衛は無情にも律子のギブスを嵌めた足を何度となく踏みつけた 。そして、とどめに律子の体を両手で頭上に持ち上げると、階段の 下へ思いっきり投げつけた。 「きゃあああ」 律子は階段の下の床へ向かって、真っ直ぐ落ちていった。 ガッ!! 律子は顔から床に直撃し、そのまま転がった。 「甘い、甘い」 守衛は階段を降りていく。 「うぐっ」 律子は血を吐きながら、その場で痙攣していた。体が衝撃で全く 麻痺していた。 「わたしは手向かう人間が嫌いなのです。反抗は生のあかしですか らねぇ」 守衛は笑った。 もう駄目だわ。こんな体じゃ、もう…… 律子は目に涙を浮かべた。自分がどういった感情で泣いているの か律子には分からなかった。 「今度、刃向かったら許しませんよ」 守衛は再びアイスピックを手にした。 とうとう終わりか。考えてみれば、よくここまで生きてきたわ //律子さん だ、誰? //あなたの心をあの悪魔にぶつけるの。強く、強く、念じて 「死になさい!!」 守衛はアイスピックを振り下ろす。 とその時、律子の右手がほのかに光り、金色の粉が集結し、黄金 のリヴォルバーとなる。 グオーン!!! リヴォルバーの銃口が火を噴いた。 「ぐほっ」 光弾が守衛の体を貫いた。 「馬鹿ものが……わたしがこんなものでやられると……な、なんだ 、何だこれは。わたしの体が、体がぁ」 守衛の体が弾けるように消滅した。 「勝った……」 律子は呟いた。 //この世界の者は生命の息吹を嫌います。ファレイヌの弾丸は 精神の力。律子さんの心が死者に勝ったのですわ まだ、一人を倒したに過ぎないわ //いいえ、この世界に守衛は一人だけです。これでこの世界は 崩壊しますわ だといいけど その時だった。建物内が激しく揺れた。 建物が動いているような感じだった。律子はただその揺れをその まま受け止めていた。 やがて、揺れが止まると、建物内が急に明るくなった。 もう天井には浮遊霊の姿もなく、気味の悪い声も聞こえない。 「お姉ちゃーん」 階段の上の方から声がした。勇太の声だった。 勇太は慌てて階段を降りてくると、倒れている律子に抱きついた 。 「お姉ちゃん、お姉ちゃん」 勇太は泣きながら、律子の体を揺すった。 「勇太君、大丈夫よ」 律子は微笑んだ。 「よかったぁ」 勇太もまだ半泣きのまま笑顔を作った。 「みんなに知らせたよ、ボク、ちゃんとやったよ」 「偉いわ、勇太君」 律子は勇太に優しい視線を送った。そして、安心したのか、律子 はそのまま眠り込んでしまった。 19 マリーナの最期 「そんな……私の魔法が消えた!?」 マリーナは雨の降りしきる正門の前で、元に戻った病院の建物を 信じられないといった面もちで見つめた。 「私の世界転換の魔術は五時間は持つはず。それがなぜ……」 「人間の心がおまえの魔力を打ち破ったのさ」 背後からの声にマリーナは振り向いた。 「おまえは……フェリカ」 「そうだ。死の世界はすでに律子が番人を倒したことで消滅した」 「馬鹿な、どうやって」 //マリーナ、今度ばかりは許しませんわ フェリカの後ろから金色のフランス人形に変化してエリナが現れ た。 「そうか、貴様が……だが、番人はおまえの力では−−」 「まだわからんのか、マリーナ。ファレイヌは人の心の作用した時 が、一番力を発揮するんだ」 「ちいぃ」 マリーナは歯ぎしりした。 「マリーナ、残念だよ。おまえは冷酷だが、残虐な真似はしないと 思っていた。だから、おまえに対しては強硬な手段を取らなかった 」 「何をほざく。ファレイヌに冷酷も残虐もあるものか。ただ己の感 情の赴くままよ」 マリーナの手に白銀銃が握られた。 「もう逃がしはしない。これが最期だ」 フェリカは腰のホルスターからショットガンを抜いた。片手で構 え、銃口をマリーナに向ける。 「面白い、望むところだわ。私も全魔力をかけて、貴様を異次元に 葬ってやる」 マリーナも白銀銃の銃口をフェリカに向けた。 「先に撃つがいい」 「言われなくてもそうするわ」 マリーナは白銀銃のひき金を引いた。 グォーン!! 青白い光弾がフェリカを襲う。フェリカは微動だにせず、じっと 銃を構える。 カシーン!! 激しい金属のぶつかり合う音がした。 「なにィ!!」 ティシアは眉を寄せた。 フェリカの前に強大な黄金の盾が立ちはだかったのである。青白 い光弾は盾にぶつかり、弾けた。 「終わりだ」 フェリカはショットガンのひき金を引いた。 散弾がマリーナの、いやマリーナの乗り移っている女の顔を砕い た。 「くそぉ」 女の体から銀色の粉末がすうっと逃げていく。 「最期だと言ったはずだ」 フェリカはすかさず壺を取り出すと、蓋を外し、蓋の口を銀色の 粉末に向けて呪文を唱えた。 「ぎゃあああ」 銀色の粉末が悲鳴を上げて、壺に吸い込まれる。それは一瞬の出 来事だった。 フェリカは粉末が全て入ると、蓋を閉じた。 「もう表に出ることはあるまい」 //今回はたくさんの犠牲者を出してしまいましたわ 人形に戻ったエリナは悲しげに言った。 「俺が甘かったのかもしれんな。だが、律子さんが助かっただけで もよかった」 フェリカはショットガンをホルスターに収めた。 //転生の儀式、どうなさいますの? 「全ての運命は彼女に委ねた。俺が決めることじゃあない」 //そうですね…… 「エリナ、しばらく律子さんのことは君に任せる」 //任せるって? 「彼女を守るのは君の義務だ。彼女の力になってやってくれ。俺は 次の仕事に移らねばならない」 //わかりましたわ エリナは微笑んだ。 「また一年後に来る」 フェリカはそう言うと、病院の門を後にした。雨はいつのまにか 小降りになっていた。 エピローグ 病院の惨劇の夜から三日が過ぎた。 次元転換の魔法による被害は死者三十人を数えた。いずれも心不 全で、ナイフによる傷など全くなかった。 事件は当初、病院に疫病が発生したのではないかとパニックにな ったが、結局それらしい根拠を現在に到っても何も見つけていない 。 律子は両足の骨折の悪化、頭部の打撲でまたまた面会謝絶となっ た。現在も集中治療室で治療が行われている。 また、ティシアに生命エネルギーを奪われた吉原妙子の命も無事 美佳たちが救い出し、とても三日前までミイラになっていたとは思 えないほどすっかり回復し、その家族や医師までも驚かせた。 そして、肝心の美佳たちの方はと言うと−− 「美佳さん、はい、コーヒー」 秋乃は美佳の前にコーヒーカップを置いた。「キリマンジャロだ よ、キリマンジャロ」 秋乃の言葉も全く耳に入らず美佳はテーブルに頬杖を付いて、ぼ んやりと物思いに耽っている。 ここは律子のマンションである。二人はダイニングルームにいた 。 「おいしいのになぁ」 秋乃はカップを手にして自分のコーヒーを啜った。 美佳が秘密兵器といったジャンパーは椅子の上に投げ出されてい る。これはただジャンパーにスチール板が入っているという代物だ った。 「ねえ、美佳さん」 「んん?」 美佳は寝惚けたような返事をした。 「元気だしなよ、お姉様は絶対に治るって。私が保証するんだから 、大丈夫よ」 秋乃はどんと胸を叩いた。 「……」 美佳は虚ろに天井を見つめている。 「もうちょっと早く転送の魔法、使えばよかったね。そうすれば、 お姉様が怪我する前に黄金銃を送れたんだけど」 「……」 美佳は黙っている。 「美佳さん、すっかり無視してる」 「聞いてるわよ」 美佳がようやく重い口を開いた。 「ねえねえ、それだったらさ、私、ここに住んでもいい?住むとこ なくてさ」 「うん……」 美佳は返事ともつかぬ返事をした。 「え、いいの。助かった。そのかわり、炊事とかやるからさ、任せ て」 秋乃は手を拍いて喜んだ。 「姉貴……」 美佳は寂しげに呟いた。 テーブルの上にはいつしか涙の粒が落ちていた。 「対決」終わり